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Part.3 たまには真面目な話

今のうちだけだぞ!の巻

~​指導者講習会(稽古)を終えて~

​タイトルにあるように今回は真面目な話を書かせていただきます。なぜ真面目な話かというと、あまりアホな話ばかりだとこの空手の先生大丈夫か?と思われると困るので、おもしろい話はあくまでエンターテイメント(実話だけど)であって、それとは別で空手の稽古は真剣にやっていますよ。ということも伝えたいので真面目な話を書くことにしました。

先日6月15、16日と東京の直井先生の道場でワールド大山空手の指導者講習会(稽古)があり最高師範が来日され稽古をつけていただきました。稽古前に少し話しをされたのですが、その時は声の張りが以前より弱くなった感じがしてさすがの最高師範も76歳になり呼吸力が弱くなって気合も落ちたのかと思ったのですが、稽古が始まるとすぐに気合が乗って、自分が内弟子だった頃と変わらぬ熱い気合の入った最高師範になっていました。ぼくの思い過ごしだったようです。その証拠に稽古中、気が抜けている黒帯を見つけると即座に腕立て伏せを命じていました。(気を抜かないよう注意してもらうため10回程度)こういうことは指導する本人が気合が入って生徒一人一人の気を感じ取っていないと出来ることではないのです。それを見て自分も腕立て伏せをさせられないよう気をぬかないようにと自分に言い聞かせる。

指導者講習会.JPG

ところで今回の稽古のテーマは上段への突きを含む攻撃に対する受けからの攻め、もしくは、攻めのための受け、攻防一体の動きの稽古である。

これは、以前にも書いたことだがどんな稽古の時も必ずやる前に最高師範は先頭に立って見本の動き、技を見せてくださる。その時の動きは「まぁこんな感じ」というようなあいまいな適当な動きではなく、明確に「こうだ!体はこうやって使うんだ!」と気合の入った最高の動きで示してくださる。

空手の世界を知らない人からすると、指導者が正しい気合の入った最高の動きを見せるのは当たり前じゃないか。と思われるかもしれないが、実際には最高師範のように先頭に立って全力で明確な見本を見せながらみんなと一緒になって汗だくになって動いて指導する人は、この空手界では、ぼくはあまり見たことはない。

大抵は腕を組んで号令だけ掛けたり口で指導するだけの指導者が多い気がする。ましてや最高師範は76歳である。(ちなみに7月2日で77歳になられる。)

これだけネットが普及した今、昔の伝説的な武道の達人と言われる人たちの映像も簡単に見られる時代であるが、そういう人たちも高齢になってくると動きになめらかさがなくなったり鋭さがなくなったりして総じて年寄りの動きになってくるのだが、そういう人たちと比べても76歳になる最高師範の動きはまったく別次元である。今回もたまに見せる一瞬の鋭さ、技のキレはまだまだ健在であった。それはひとえに76歳になる今でも毎日稽古をして汗を流していることに他ならない。(もちろん力強さやスタミナなど体力的なことは一昔前に比べると落ちているのは間違いない。)

 

自分ももうすぐ45歳になり「あ~稽古しんどくなったな」と思うこともあるが、最高師範の年齢と動きを見ているとまだまだそんなこと言ってられないな、と素直に思わされる。

走る最高師範.JPG

(見よ!76歳にしてこの躍動感!)

​(直井先生に他に何か講習会の写真送ってって言ったら、なぜかこの写真だけ送られてきました。本当は道着を着て動いている最高師範の写真を載せたかったのですが・・・。ちなみに傘を差しているのが直井先生。最高師範の素早い動きに完全に置いていかれてる。)

話を稽古内容に戻す。三戦立ちで基本の上段受け、外受け、内受け、下段払い、双手受けをやった後、足運びを入れて前へ出たり下がったりして相手の攻撃を受けてさばきながら、そのまま攻めに入いる動きを繰り返し稽古する。格闘技を知らない人からすると受けてすぐ攻撃なんて当たり前じゃないかと思われるかもしれないが、実際はそんなに簡単なことではなくとても難しい。

特に組手になると大抵の人は、攻めなら攻め、受けなら受けで終わってしまう。これを別々にやるのではなく、受けながら攻め、攻めながら受けることが出来ると組手のレベルが一つ上がる。

まず第一に相手の攻めを受けた時に自分の体勢が崩れていては反撃するどころかそのまま持っていかれてしまう。なので受けた時にちゃんと腰が落ちて重心、足腰が決まっていなくてはいけない。そしてそのまま下半身と上半身が一体感をともなったままスムーズに重心が攻めへ移行しなくてはいけない。

​このような自然な一体感のある重心、身体操作の流れは、ちょっと稽古したくらいでは絶対に出来ない。受けた時に体が浮いてしまったりそれぞれの部分がバラバラになったり力が一つの方向に集約されていなかったりして、どうしてもぎこちなさが出てしまう。

自分が言うのも恐れ多いが、その点最高師範の動きにはどこにもリキみブレがなく受けから攻めの重心、体重移動がよどみなくとてもスムーズである。ちなみにぼくからみて今回の講習会で最高師範と同じレベルで動けている門下生は、自分も含めて一人もいない。当たり前と言ってしまえば当たり前なのだが。(外から見ると一見同じように動いているように見えても、細かい部分・その本質はまったく異なる)

​普通の人は、武道の達人というと小難しいテクニックや派手な大技に目が行ってしまうと思うのだが、達人の本当のスゴさとは何気ない身体操作にあるとぼくは思っている。その点、最高師範の動きには本当にムダがない。

この指導者講習会(稽古)というのは、指導者や黒帯が稽古方法・指導方法を学ぶ場とされているが、自分はむしろ最高師範の動きを見て目に焼き付けるために行っている。

 

そこで思うのだが、大山空手の門下生は、なぜもっとみんな指導者講習会(稽古)に参加しないのか?このブログを大山空手の門下生も読んでくれていると思うし自分もある程度の立場になったので言わせてもらうが、ワールド大山空手の門下生にとって他の流派と違う一番のメリットは最高師範の動きをナマで見られると言うことだとぼくは思っている。

ぼくは、どんな分野でも一芸に秀でた人の動きは必ず美しく見えると思っている。なぜなら重心が安定し動きにリキみ無駄がなく常に全体のバランスがとれ、体の部分部分が別々に動くのではなくどんな動きをしても常に流れるような一体感があるからである。自分がワールド大山空手であり、最高師範の弟子だから言うわけではないが、こと空手界では最高師範の動きが一番美しいと思っている。

その最高師範の動きをナマで見られるチャンスが指導者講習会なのである。最高師範の上半身と下半身、手と足、右と左がどのように連動しているか?移動している時腰の高さ、重心はどこにあるのか?技に入った時の呼吸はどうやっているのか?このように見て学ぶことを見取り稽古と呼ぶが、こういうことはある程度の技量にならないと見ているだけではわからないかもしれない。なので指導者講習会に出る人はその人の動きを見て何かを感じ取れるレベルになって出てくれる、もしくはそういう意識で参加してもらうと得るものも多いと思うのだが・・・。

最高師範がたまに冗談で「あと何年かしたら俺の体も動かなくなるからな!そしたら口だけの指導になるかもしれないな!」と言っておられるように最高師範の動きが見られるのも今の内かもしれない。

来年は、最高師範の技術を盗むくらいの高い意識を持って、もっと多くの人に参加してもらいたい。(ちなみに指導者講習会は上の方の帯でないと参加できないので、あしからず)

​「押忍! 最高師範、偉そうなことを書いて失礼しました!」

「オース オスオスオスオスオス​!

​完

PS.  以前ぼくの道場で上に書いたように「講習会に出たら最高師範の動きをよく見るように」と言ったら、ある女性の道場生が「だって後ろの方はまったく見えないんです。先生ばっかり一番前で見やすくてズルイ!」って言われてしまいました。最高師範、後ろの人にも見えるようになんとかしてあげてください。押忍。

 

PS. 今回は真面目な話を書きましたが、講習会での話はまだあります。次はまた笑っていただける話を書きますので乞うご期待!

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